さて、前回からの続きです。
“お父ちゃんの行きたい場所”
というのが、こちら。
東京に行ったら、絶対訪ねようと
思っていたところです。
初めての訪問、いや
正確には2回目の訪問となります。
1回目に訪ねたのは
あれは、僕がまだ中学1年生のころ
兄と2人して、ここに来ました。
あの当時、ここはまだ岡本太郎さんが
自宅として使われていたんだよなあ。
その頃から、庭には
TAROさん作の高価な彫刻が
ごろごろと無造作に転がっていて、
それを塀を乗り越えて、
カメラで勝手にパシャパシャと
撮影してさせていただきました。
今、考えれば大変失礼な話です。
記念館として使われている今
入口は道沿いに作られておりますが
当時、玄関は裏側のほうにありました
そっちに回ると、今でも当時の門が
残されているではないですか。
そうそう、この門の前で、兄と2人して
TAROさんの真似をして
「芸術は爆発だ!」といって
記念撮影をしていたんですよねえ。
すると、ふいに玄関のドアが開き
TAROさんらしき人が出てきたのです
もう、突然のことで、怒られると思った
僕ら2人は、思わずその場から
走って逃げてしまいました。
しかし。
表通り(青山通り)に出たところで
「やっぱり、謝りに行こう
それに、TAROさんに会えるんだったら
怒られてもいいじゃん」
と、兄が言い、戻ったのですが
もうその玄関には誰もいませんでした。
懐かしいなあ。
そうそう、そんな感じだったよ。
と、娘に真似をさせて記念撮影。
さて記念館の入口に戻り
館内に入ると、靴を脱いで上がる
スタイルになっておりました。
ここまでの、アプローチ部分にも
段差は多少存在しました。
入口を入るとすぐ左手に
グッズ販売コーナーがあり
その隣にチケット販売カウンターが。
ここにて、観覧券、
一般600円、小学生300円を購入し
入口から見ると、右手奥へ。
そこには、生前、TAROさんが
リビングとして使っていた空間が
表れました。TAROさん作の
椅子やテーブルが置かれ、
その奥にはTAROさんの
蝋人形も見えます。そう。
この蝋人形、生前からここに
飾られてあったんですよねえ。
僕らは、この存在を本で知り
前記の塀越しから、小さく覗けて
感動したのを覚えています。
それが、今、こんなに近くで
見ることができるなんて、
感無量だなあ。
さらに、そのリビングの先には
今度は生前、アトリエとして
使われていた空間が現れました。
おお、ここかあ。
テレビのTAROさんを追った
ドキュメンタリー番組で
TAROさんが元日の朝にもかかわらず
2階の寝室から駆け下りてきて
キャンパスに向かうというシーンを
見たことがあるが、あのアトリエだ!
もう、感涙もの。
この空間は吹き抜けになっており
天井も高く、迫力がございました。
テーブルには絵の具や筆が
当時のまま残されており
TAROさんの息吹を
感じることができました。
ここは俺にとってのパワースポットだ
と、勝手にそう
位置づけさせていただきました。
さて、リビングに戻ると
太郎さん作「手の椅子」の
上に太郎さんと敏子さんの
パネルが置かれておりました。
太郎さんの養女という形で
籍に入っていた敏子さんですが、
実質的には妻として
知られている人でした。
生前、僕の兄は何度もTAROさんに
ファンレターを書いていたのですが
TAROさん本人から
返事が来ることは一度もなく、
代わって敏子さんが返事を
下さったことが数回ありました。
ほんと、優しいお方
だったのだと思います。
結婚されなくとも2人は
普通の夫婦以上だったのでしょう。
2階へ上がると
あの「太陽の塔」が
待ち構えておりました。
皆さんはご存知だったでしょうか
太陽の塔には、その背中側に
表の太陽の顔とはまた違った
闇の顔とでも言うべき顔が
刻まれてあるんですよねえ。
僕かあ、こっちの顔のほうが
好きなんですけど。
これが、岡本太郎さんが
提唱していた理念。
“対極主義”なんですよねえ。
まあ、詳しくはコチラ↓
http://www.momat.go.jp/research/kiyo/13/pp18_36.pdf#search='対極主義'
http://www.1101.com/taro_money/2006-05-09.html
のサイトなどご覧ください。
奥では現在、企画展「布と遊ぶ」
が行われておりました。
タペストリーはもちろん、絨毯
着物から鯉幟にいたるまで
その範囲は、さすがの一言。
あのべ平連がベトナム戦争の最中
ワシントンポストに載せた広告
“殺すな”の文字がプリントされた
ジャケットも展示されておりました
まあ、詳しくはコチラ↓
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/8012/1967.html
のサイトなどご覧ください。
さらには「挑む」と書かれた“遊ぶ字”
も展示されているではないですか。
こ、これは。福岡でも新天町倶楽部
にて、別バージョンを見れる作品↓
http://uinversal.seesaa.net/article/182579992.html
これが、いかに貴重なのかが
分かってもらえたでしょうか
福岡の皆さん!
さて、感動に打ち震えて
再び1階に降りると、そうそう、
トイレがございましたので、ちと、拝見。
開き戸の足元には段差なし
手すり関係のない洋式便器でした。
最後には、あの、13歳のときに見た
庭へ。正確に当時のことは
覚えていませんが、その雰囲気は
変わってないように感じました。
そして、そんな中
あの「歓喜の鐘」のミニチュア版があり
自由に打ってもいい!
というじゃありませんか。
この鐘が、どういう鐘かは
まあ詳しくは、コチラ↓
http://www.lets-go-aichi.jp/article/2009/000175.html
のサイトなどご覧ください。
で、当然、打たせていただきました。
その音は、確かに複雑怪奇。
あれから32年。
カミサンと娘を連れて、この場所に
戻ってこれたことを鐘にこめて。
今は天国で、TAROさんに
会えてるに違いない、兄のもとに↓
http://uinversal.seesaa.net/article/8172410.html
届いてることを、祈って。
「岡本太郎記念館」鑑定結果:80ユニバ
東京都港区南青山6-1-19
あと、この施設のオフィシャルHPはコチラ。
“お父ちゃんの行きたい場所”
というのが、こちら。
東京に行ったら、絶対訪ねようと
思っていたところです。
初めての訪問、いや
正確には2回目の訪問となります。
1回目に訪ねたのは
あれは、僕がまだ中学1年生のころ
兄と2人して、ここに来ました。
あの当時、ここはまだ岡本太郎さんが
自宅として使われていたんだよなあ。
その頃から、庭には
TAROさん作の高価な彫刻が
ごろごろと無造作に転がっていて、
それを塀を乗り越えて、
カメラで勝手にパシャパシャと
撮影してさせていただきました。
今、考えれば大変失礼な話です。
記念館として使われている今
入口は道沿いに作られておりますが
当時、玄関は裏側のほうにありました
そっちに回ると、今でも当時の門が
残されているではないですか。
そうそう、この門の前で、兄と2人して
TAROさんの真似をして
「芸術は爆発だ!」といって
記念撮影をしていたんですよねえ。
すると、ふいに玄関のドアが開き
TAROさんらしき人が出てきたのです
もう、突然のことで、怒られると思った
僕ら2人は、思わずその場から
走って逃げてしまいました。
しかし。
表通り(青山通り)に出たところで
「やっぱり、謝りに行こう
それに、TAROさんに会えるんだったら
怒られてもいいじゃん」
と、兄が言い、戻ったのですが
もうその玄関には誰もいませんでした。
懐かしいなあ。
そうそう、そんな感じだったよ。
と、娘に真似をさせて記念撮影。
さて記念館の入口に戻り
館内に入ると、靴を脱いで上がる
スタイルになっておりました。
ここまでの、アプローチ部分にも
段差は多少存在しました。
入口を入るとすぐ左手に
グッズ販売コーナーがあり
その隣にチケット販売カウンターが。
ここにて、観覧券、
一般600円、小学生300円を購入し
入口から見ると、右手奥へ。
そこには、生前、TAROさんが
リビングとして使っていた空間が
表れました。TAROさん作の
椅子やテーブルが置かれ、
その奥にはTAROさんの
蝋人形も見えます。そう。
この蝋人形、生前からここに
飾られてあったんですよねえ。
僕らは、この存在を本で知り
前記の塀越しから、小さく覗けて
感動したのを覚えています。
それが、今、こんなに近くで
見ることができるなんて、
感無量だなあ。
さらに、そのリビングの先には
今度は生前、アトリエとして
使われていた空間が現れました。
おお、ここかあ。
テレビのTAROさんを追った
ドキュメンタリー番組で
TAROさんが元日の朝にもかかわらず
2階の寝室から駆け下りてきて
キャンパスに向かうというシーンを
見たことがあるが、あのアトリエだ!
もう、感涙もの。
この空間は吹き抜けになっており
天井も高く、迫力がございました。
テーブルには絵の具や筆が
当時のまま残されており
TAROさんの息吹を
感じることができました。
ここは俺にとってのパワースポットだ
と、勝手にそう
位置づけさせていただきました。
さて、リビングに戻ると
太郎さん作「手の椅子」の
上に太郎さんと敏子さんの
パネルが置かれておりました。
太郎さんの養女という形で
籍に入っていた敏子さんですが、
実質的には妻として
知られている人でした。
生前、僕の兄は何度もTAROさんに
ファンレターを書いていたのですが
TAROさん本人から
返事が来ることは一度もなく、
代わって敏子さんが返事を
下さったことが数回ありました。
ほんと、優しいお方
だったのだと思います。
結婚されなくとも2人は
普通の夫婦以上だったのでしょう。
2階へ上がると
あの「太陽の塔」が
待ち構えておりました。
皆さんはご存知だったでしょうか
太陽の塔には、その背中側に
表の太陽の顔とはまた違った
闇の顔とでも言うべき顔が
刻まれてあるんですよねえ。
僕かあ、こっちの顔のほうが
好きなんですけど。
これが、岡本太郎さんが
提唱していた理念。
“対極主義”なんですよねえ。
まあ、詳しくはコチラ↓
http://www.momat.go.jp/research/kiyo/13/pp18_36.pdf#search='対極主義'
http://www.1101.com/taro_money/2006-05-09.html
のサイトなどご覧ください。
奥では現在、企画展「布と遊ぶ」
が行われておりました。
タペストリーはもちろん、絨毯
着物から鯉幟にいたるまで
その範囲は、さすがの一言。
あのべ平連がベトナム戦争の最中
ワシントンポストに載せた広告
“殺すな”の文字がプリントされた
ジャケットも展示されておりました
まあ、詳しくはコチラ↓
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/8012/1967.html
のサイトなどご覧ください。
さらには「挑む」と書かれた“遊ぶ字”
も展示されているではないですか。
こ、これは。福岡でも新天町倶楽部
にて、別バージョンを見れる作品↓
http://uinversal.seesaa.net/article/182579992.html
これが、いかに貴重なのかが
分かってもらえたでしょうか
福岡の皆さん!
さて、感動に打ち震えて
再び1階に降りると、そうそう、
トイレがございましたので、ちと、拝見。
開き戸の足元には段差なし
手すり関係のない洋式便器でした。
最後には、あの、13歳のときに見た
庭へ。正確に当時のことは
覚えていませんが、その雰囲気は
変わってないように感じました。
そして、そんな中
あの「歓喜の鐘」のミニチュア版があり
自由に打ってもいい!
というじゃありませんか。
この鐘が、どういう鐘かは
まあ詳しくは、コチラ↓
http://www.lets-go-aichi.jp/article/2009/000175.html
のサイトなどご覧ください。
で、当然、打たせていただきました。
その音は、確かに複雑怪奇。
あれから32年。
カミサンと娘を連れて、この場所に
戻ってこれたことを鐘にこめて。
今は天国で、TAROさんに
会えてるに違いない、兄のもとに↓
http://uinversal.seesaa.net/article/8172410.html
届いてることを、祈って。
「岡本太郎記念館」鑑定結果:80ユニバ
東京都港区南青山6-1-19
あと、この施設のオフィシャルHPはコチラ。