2006年07月25日

某リハビリテーション学院 ‘06講義13日目

僕はユニバーサルデザインやバリアフリーデザインで
埋め尽くされた環境が人間にとっていいものとは思いません。


完璧に段差のない世界が人間にとって幸せな世界だとは思わないんです。
例えば日光東照宮(いきなりですが)。
ご存知、天海上人が造った徳川家康を神格化した
東照大権現を祀る大神社です。
60721-1.jpg
細かな彫刻一つひとつにも意味があり、建築学的にも風水学的にも守られた
人間が創造できる最高レベルの造形物といえるものでしょう。
その驚くべき神経を垣間見れるものとして、「魔よけの柱」というものがあります。
陽明門を構成する12本の柱のうち1本だけ
模様が天地逆になっている柱(写真手前)が存在します。
60721-2.jpg
それは「あまりに完璧過ぎると魔がさす」という理由からわざとそうされているのです。
何百年も前に人間にとって完璧なものはよくないものと知られていた。
あの孔子の言葉にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とあります。
そんな恐るべき古人の教えを今、解き明かすキーワードがあります。
“プレザントネス”です。
それは「面白い、楽しい、気持ちがいいといった積極的な快適性」。
分かりやすいところで言うと、
蒸し暑い戸外からクーラーのきいた室内に入った際に瞬間的に感じる気持ちよさ。
それは不快な状態から脱却した際にしか感じることの出来ない快感です。
このプレザントネスを感じることの出来る環境を作り出すことが
人間にとって幸せなことだと思うんですね。
プレザントネスは完璧に整えられた環境では感じることができません。
バリアを全てなくしてしまっては感じることができない幸せがあるんじゃないでしょうか。
例えば使いにくいものだけど愛着を感じるようなものってありませんか。
バリアを乗り越えたことで感じる喜びってありませんか。
そんなものまでをも、なくしてしまってはいけないと思うんですね〜。
俺って変かなあ。


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posted by アサケン at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活環境論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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