中央区某所で見つけたこの看板。
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2006年02月03日
2005年12月31日
2005年10月15日
南無阿弥陀仏
10月8日、午後10時30分。
このブログの更新を楽しみにしていた人が、
この世を去ってしまいました。
カメラとパソコンと読書が大好きな人でした。

彼は生まれつきの何十万人に1人という難病で、
その病気においては日本歴代最高年齢に達していました。
享年41歳。ここまで来れたのが奇跡のようなものでした。
彼が亡くなった後、彼の机やパソコンの中を整理していると、
最後まで生きようと努力していた形跡の残る遺品が
次から次と出てきて、涙が止まりませんでした。

これから先、医療の発達により、
人類が自由にDNA操作を出来る時代がやってきたなら、
彼の病気は治っていたのかもしれないと言われていました。
DNA操作は人類が足を踏み入れてはならない聖域という意見も聞かれます。
しかし、もしも自分や大切な人がそのような難病になってしまってもなお、
同じような意見でいられるでしょうか。
僕はDNA医療の発達を切望します。
このブログの更新を楽しみにしていた人が、
この世を去ってしまいました。
カメラとパソコンと読書が大好きな人でした。

彼は生まれつきの何十万人に1人という難病で、
その病気においては日本歴代最高年齢に達していました。
享年41歳。ここまで来れたのが奇跡のようなものでした。
彼が亡くなった後、彼の机やパソコンの中を整理していると、
最後まで生きようと努力していた形跡の残る遺品が
次から次と出てきて、涙が止まりませんでした。
これから先、医療の発達により、
人類が自由にDNA操作を出来る時代がやってきたなら、
彼の病気は治っていたのかもしれないと言われていました。
DNA操作は人類が足を踏み入れてはならない聖域という意見も聞かれます。
しかし、もしも自分や大切な人がそのような難病になってしまってもなお、
同じような意見でいられるでしょうか。
僕はDNA医療の発達を切望します。
2005年07月10日
2005年06月14日
マンホール・ストリート
中央区某所、大通りからちょいと一本入った小道。
50mほどのその小道には、
なんと25個ものマンホールが存在する。
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50mほどのその小道には、
なんと25個ものマンホールが存在する。